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リブログ「型に秘めらたもの」


2010/03/24の記事

 

型が有る武術は、使えるのか?使えないのか?

 

型のない武術は、簡単に身につけられ、実戦性が高い?

 

型の有無や、その用法に至るまではいろいろな意見があると思う。

 

武術を独学から初めて、4年。

 

最初はタイ気拳を独学で練習しはじめ、いまは先生の元で八卦掌と形意拳を学んでいる。

 

タイ気拳は、定まった型の無い武術であり、立禅という稽古方法が独特さを感じさせる。

 

一方、八卦掌、形意拳は型を中心として学んでいく武術であり、一見、タイ気拳とは全く本質も違うように見える。

 

でも、自分が最近ハッキリ感じることは、型の有る無しは、練習システムの違いであって、本質は一方向にしか向かっていないということ。

 

目的地に向かうための道には、いろいろなルートを選ぶ事が出来る。

 

そのルートの違いが、型の有り無しにも現れているのだろ。

 

具体的に言うと、用いるべき力の源は共通したものだが、その運用経路、方法が異なり、それが各拳法の技術的特徴として現れているのではないだろうか。

 

毎日の稽古では、三種の拳法を必ず稽古している。その中で、それぞれの拳法の違いと、共通点を感じるようになってきた。

 

んで、タイトルの型に秘められたもの。

 

これは、一言でいえば、型はその門派のエッセンスが凝縮されたものであり、そのエッセンスを余さず伝えるための「教材」としての役割と、「練習方法」も含めたものであると思う。

 

この型に含まれるエッセンスに気づくかどうかが、型のある武術が使えるか使えないかの分かれ道になるのでは。

 

想像するに、型にはもう一つ、技術的な秘密を隠すためにある、とも言える。

 

正直、ちゃんと学んだ先生に正しく教授してもらわないと、型の意味は見えてこない。

 

その意味がしっかり理解出来、身体もその要求に沿って練り上がったとき、型は必要無くなり、自由な動きが可能となる…。

 

このような技術的なポイントは、「あれ?」っと思うくらい些細な事であったりする。でも、その些細なポイントであるがゆえ、自己流では気がつくことが非常に困難であると思う。

 

型の無いタイ気拳や意拳は、どうか?こちらは、型がない分、ダイレクトに中核部分を掴もうとしているのだと思う。

 

型というのは、力の源があってそれが表に現れた結果、型になっていると考えれば、その力の源を「立禅」という練習方法によって直接的に掴もうとする。

 

源が分かって、それが手足と繋がれば、動けば技になってしまう。だから型をわざわざ定める意味がないといった所か。

 

現時点で、自分に気がつけるのはこんなところ。まだまだ、この先考えが変わっていくだろうけど、それも楽しみだ。

 


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